2016/02/29

Tiny Crazy Crawler YRH

「Basser (No.151)」、P36
「Basser (No.155)」、P69
「BSプレミアム 釣って、食べて、生きた!作家開高健の世界(2)」
 

色違い(XRW)とともに、バンクーバー島でのスモールマウス釣りに活躍しています。軽いルアーなのですが、開高さんは5000DLや5000Cで軽々と投げていますね(これについてはまた後日)。カラーはYRH(後期色)。イエローレッドヘッドの略ですが、私の周りでは「タケちゃんマンカラー」と呼んでいました。遠目にもとてもよく見える、よく考えられたカラーです。

ヘドンの初期ものは目玉が三重で、顔前方に黒い十字のマークがデザインされていましたが、後期には吹目のシンプルなペイントに変更されました(写真上)。ちょうど両者の過渡期には、1年間だけ製造された「ワンイヤー」と呼ばれてるタイプもありました(写真中)。目が黄色で、ちょっと可愛い感じがします。ヘドンの看板ルアーのひとつなので、別注のファーフィニッシュタイプや、プラドコ期になっても金メッキ仕様(写真下)など特別なタイプもたくさん世に出ています。

2016/02/28

Line label

「オーパ、オーパ!! モンゴル・中国篇 スリランカ篇(文庫版)」、表紙
 「生物としての静物(文庫版)」、P211


ABU7000の左サイドプレートに、ストレーンのラインラベルが貼ってあります(上の写真)。ラインの太さや強度の忘備メモとして、当時のラインにはこんな素敵なシールが付いているものがありました。下の画像は、シルバースレッドのもの。国産のソラロームにも、同じようなものが付いていたように思います。

「生物としての静物」の挿絵として描かれている開高さんの5000C(後期角型リム仕様)は、釣りのシーンでもたびたび出てきますが、手描きで5号(たぶん)と書いた自作のラインラベルが貼ってあります。それっぽくて味がありますし、そのままイラストになっているのも洒落ています。

ラインラベル、仲間内では、リールの外側にこれ見よがしに貼るもの、スプールの外側など見えないところに貼る主義のもの、どんな釣りでも同じラインしか使わないので必要なしという無頼派のもの、様々でした。私は、小傷を隠すためにリールのサイドに貼るか、またはフット裏によく貼り付けていました。今でも、シールにライン強度を書き込み、貼り付ける習慣です。

2016/02/27

Fishing Pliers

「フィッシュ・オン(豪華版)」、P86 
私の道具箱(タックル・ボックス)と、リュックと、レインコート



ABU社製のフィッシングプライヤーが、アムコのタックルボックス(133A)に収められています。持ち手のコーティングがゴールドのモノが最初期物で、1970年代前半までの製造。「フィッシュ・オン」のものはこの時期のものです。鱗模様が滑り止めにもなっており、とても考えられた造りになっています。

その後、1970年代中頃には持ち手がクリアブルーになり、鱗模様がなくなりました。さらに、最終型ではソリッドブルーの持ち手に変わりました。ただ、いずれのものも製造はドイツ。この手の道具は、「Made in Germany」とあると、信頼度が大幅に上がる気がします。経験上、この手の多機能ツールが活躍する場面はそれほど多くはありませんが、潜在的高機能が付加されていることは道具としてのひとつの魅力であり、所有欲をくすぐります(釣り場では、クニペックスがあれば、こと足りる・・・なんてことは、もちろん承知のうえです)。

2016/02/26

Little George

「もっと広く!(文庫版 上)」、P114 、120
「Basser (No.151)」、P36
「Basser (No.155)」、P80、90
「BSプレミアム 釣って、食べて、生きた!作家開高健の世界(2)」 
リトル・ジョージ(ちびのジョージ)というルアーが卓効を発揮したが、魚はそれを追って水面までかけあがってくる。すかさず竿の穂先を沈めて、一瞬、ルアーを落とし、つぎの瞬間にグイとしゃくると、きっと鈎が下顎にかかる


開高さんのお得意ルアーのひとつだったようで、たびたび登場してきます。パール系、シルバー系、チャートリュース系、サイズも1/2~1ozと各種いろいろと、あれこれと。

私も昔から大好きなルアーで、よく使い、よく釣り、よく失くしました。風が強まり、水面が波立ち始めた午後。トップウォーターでの釣りをあきらめた後は、リトルジョージ大遠投・表層高速曳き気晴らしをしたものです

先日、懐かしくなって久し振りにアメリカから現行品を取り寄せてみました。ボディーにホロスケールが貼られていますが、フックの装着方法は昔のままです。ただ、ブレードから「LITTLE GEORGE」の刻印が消えてしまったのとても残念です。


2016/02/25

Dardevle

「フィッシュ・オン(文庫版)」、P36、49、58、63、88
「もっと遠く!(文庫版 上)」、P4
「もっと広く!(文庫版 上)」、P105
スプーン鈎の名作ダーデヴル。


「フィッシュ・オン」で最もインパクトが強いルアー。赤白のダーデヴルを銜えた巨大なキングサーモンの写真が掲載されています。昔のスプーンの(というよりも、擬似餌=ルアーの)代表格で、スプーンと言えばダーデヴル、ダーデヴルと言えば赤白というイメージが埋め込まれている往年のルアーマンも多いことと思います。私もそのひとりです。

「ダーデヴル」は実のところはルアーの名前ではなく、ブランドやシリーズの名称のようで、サイズ別にコピーキャット、ロケット、スピニー、ミジェットなどの名前が付いています。ただ、私の周りでは、全サイズひっくるめて、「顔付きスプーン」とか、「サリーちゃんのパパ」とか、省略して「サリーちゃん」と呼んでいました。

最初期のもの(Osprey Famous Fishing Tackle)の箱は、こんなデザインでした。ボロボロでよく見えないかも知れませんが、トップのイラストからやはり赤白がブランドを代表するカラーだったことが分かります。ダーデヴル以外にも、昔はジョンソンのシルバーミノーなんかも箱入りで売っており、箱に入っているだけで高級感がありました。よい時代でした。


2016/02/24

Hula Popper

「Basser (No.155)」、P81


タイニートーピードの後ろの隙間から少しだけ顔を出しています。フレッドアーボガストのフラポッパー。カラーはルミナス(夜光)だと思われます。

写真の左の方は、目のまわりが赤く、古いタイプです。こちらは夜光塗料が含まれておらず、普通の乳白色です。右側は目の周りが黄色で、蓄光して黄緑色に光ります。

このルアーはガイドさんのものだと思われますが、顔の出し方がフラポッパーらしく可愛いので、雑誌のページごと紹介しておきます。

2016/02/23

Browny

「Basser (No.151)」、P36 
「サライ(2005年9号)」、P43


開高さんの初期のボックス(フィッシュ・オンなど)に入っているルアーは、忠さんのバイトを除き、ほとんどすべてが外国製でした。国産ルアーは模倣品が主体だった時期ですので、当然の成り行きだったのでしょう。その後、独創的な国産ルアーが次々と発表されるにつれ、開高さんのボックスにも国産プラグが含まれるようになります。オーパ!」以降、アルファー&クラフト(ザウルス)のルアーなどがたびたび登場するのはご存知のとおりです。

小魚を模したルアー、ミノープラグ。開高さんはラパラを絶賛しており、それ以外のミノーはあまり登場してきません。ブラウニーは、その実力が認められたのか、それとも単なる代打だったのか、詳しい事情はわかりませんが、ラパラ社以外の製品で開高さんのボックスに入っている数少ないミノーのひとつです。カラーは何にでも効くとされる赤・金。忠さんのバイトでも、「赤・金」が卓効との記述がありますので、開高さんご自身も、このカラーに信頼があったのかも知れません。

サイズは11cmか13cmのように見えます。ただ、頭のあたりやボディーが少し太い気もするので、もしかするとブラウニーではなく、海の大物用として販売された「ソルティー・ブラウニー」かもしれません。一度、是非、現物を確かめてみたいところです。

2016/02/22

Damside

「忠さんのスプーン人生 (地球丸)」、P79


こちらも開高さん命名のスプーン、「Damside(ダムサイド)」。ダムのある場所や敷地を「ダムサイト(dam site)」と呼びますが、このルアーは「site」ではなく、「side」です。

前出の「Ginzan(ギンザン)」よりも、テール部がやや細身になっており、ABU社の「Toby」に近いシルエットです。急流や深みを攻めるためのルアーとして設計されているのでしょうが、そのような場面ではついつい「Toby」に手がでてしまうため、あまり実釣に使った記憶がありません。一度、泳ぎ振りを比べてみたいと思っています。

2016/02/21

Ginzan

「忠さんのスプーン人生 (地球丸)」、P79



忠さんのスプーン、「Ginzan(ギンザン)」。「私の釣魚大全」には、開高さんが忠さんのスプーンに名前を付けた件が記されていますが、よく読むと、「それのルアー」と複数形になっています。「バイト」以外の他のシリーズも、きっと開高さんが命名したものと思っていましたが、「忠さんのスプーン人生」には名付けの場面の回想が書かれており、このスプーンも開高さんが名付け親だということがわかります。

ややテール部が重く、深場を攻めやすいように設計されています。個人的には「バイト」よりもよく使っており、バス釣り用のタックルボックスにもひとつ入れてあります。

2016/02/20

Bite 300g

「オーパ、オーパ!! モンゴル・中国篇 スリランカ篇(文庫版)」、P170、203
吹きだしたくなるような業物(わざもの) 


ハナス湖の怪物を仕留めるために忠さんに特注した超特大の「バイト」。全長約30cm、重量約300g。普通のキャスティングロッドのグリップと比べてみても、まだこのスプーンのほうが大きいくらいです。

もちろん、キャスティングなんかはできません。ピラーニャの剥製と一緒に、部屋の壁を飾ってくれています(実は、結婚祝いにいただいた大切な「ルアー」です)。

2016/02/19

Bite

「私の釣魚大全(文庫版)」、P258
「オーパ!(文庫版)」、P87、119、126、
「もっと遠く!(文庫版 上)」、P4
「もっと広く!(文庫版 上)」、P117、191、202、205
「オーパ、オーパ!! モンゴル・中国篇 スリランカ篇(文庫版)」、P111
その他、もろもろ、あちこち

たのまれて私はそれらのルアーに名をつけてあげたが、なかなかいい出来で、ことに「バイト(あたり)」とつけたのは、ある年、ある湖で、ヒメとニジが入れ食いに近い連続ヒットぶりを見せた。


忠さんの「バイト」。さすがに開高さんが名付けたルアーだけあって、いろいろなところに登場してきます。「つねにたっぷりと用意」すべきルアーとも評価されているので、遠征ともなると何ダースも調達されていたのでしょう。中でも13gが、開高さんが最も愛用したサイズだったそうです。

忠さんの会社(セントラルフィッシング)で販売が始まり、一時期はシマノ社が取り扱っていました。今でも、アートフィッシング社が様々なカラー、ウェイトバリエーションをラインアップしています。バイトや他のスプーンが制作された経緯などは、同社の「SPOON」というカタログに詳しく紹介されています。古いものは塗料で目玉が描かれていたりしましたが、残念ながら最近のモノにはありません。

ピラーニャの剥製にバイトを銜えさせてみると、まさに「オーパ!」のワンシーンのようです。これは、「太陽(平凡社)」の写真(P58)にちなんで拵えました。ちなみに、開高さんの書斎に飾ってあるピラーニャの剥製は、顔が右向きですね。魚類学的には左向きが正解なのですが・・・。

2016/02/18

Worth Flutter Fin

「オーパ!(文庫版)」、P35
 

ピンポン玉型の珍しいルアー、フラッターフィン。「オーパ!」にも写真が掲載されていますし、ライギョ少年たちのバイブル「ライギョ・ゲームの楽しみ方(長島常雄 著)」にも写真がありました当時から比較的よく知られたルアーでした。

私自身は、このルアーの歴史やカラーバリエーションなどについてはほとんど知識がなかったのですが、ふとした雑談を機に知り合いのコレクター(米国人)が詳細に教えてくれました。詳細はこちらにも紹介されています。「ルアーに歴史あり」を実感できます。 

2016/02/17

Shad Rap

「Basser (No.155)」、P90
「BSプレミアム 釣って、食べて、生きた!作家開高健の世界(2)」


バンクーバー島で開高さんがスモールマウスバスを釣っているのが、ラパラ社のシャッドラップ(パーチカラー)・・・だと思いますが、ちょっと自信がありません。別の、とてもよく似た候補ルアーがあるからです。それは、ミスターツイスター社スポーツフィッシャーシリーズの「ミスターシャッド(Mister Twister Sportfisher Mister Shad)」。いわゆる「そっくりさんルアー(knock-off lure)」です。

開高さんはラパラ製品には一目置いていたようで、「もっと広く!」の中でも「不朽の名作」と紹介しています。一方で、北米釣り紀行の際にはミスターツイスターのルアーにも少なからぬ影響を受けた様子があり、「オーパ、オーパ!!」では活字や実釣写真に再々登場してきます。ですので、バンクーバー島でのルアーがどちらかは微妙なところです。

ミスターシャッドはアメリカでは相当売れたらしく、中古市場でもよく見掛けます。また、スポーツフィッシャーシリーズには某社クランクベイトのそっくりさんもあり、スーパー(Kマートなど)の売り場ではこちらのほうが大量に並べてあった記憶があります。これらは、実物を手にするとリップやボディーの刻印が違うのですぐに判別がつきますが、写真や遠目の映像ではほとんど区別がつかないと思います。


2016/02/16

Lucky 13

「もっと広く!(文庫版 上)」、P191
「サライ(2005年9号)」、P43
それがダメなら、つぎは赤白のラッキー13


ピーコック・バス狙いに、満を持して登場してくるダーターの雄、ヘドン・ラッキー13。残念ながら魚と一緒の写真が出てこないのでピーコック・バスには不発だったのかもしれませんが、とにかく開高さんが信頼いていたルアーであったのは確かでしょう。「サライ」に掲載されているボックスを目を凝らして見ると、ラッキー13の赤白が確かに入っています。

赤白のカラーのうち、色の境目がハッキリとしているものは「カット」と呼ばれています。一方で、「サライ」に掲載されているカラーは境目がぼんやりとしていまおり、こちらは通称「ぼかし」や「ブレンド」とよばれる塗り方のものです。開高さんのは、「ぼかし」タイプですね。


それにしても、ラッキー13「赤白」カラーを特筆されるとは開高さん、流石にお目が高いです。お陰さまで、私自身もこのルアーではこれまでいろいろといい思いをさせていただきました。下の写真は、開高さんも長逗留や転戦して大物を狙ったとされる某所の「スズキ」。私の同種レコードフィッシュです。開高さん、仇をとっておきましたョ。


2016/02/15

Baby Lucky 13

「フィッシュ・オン(豪華版)」、目次ページ 


 
国内で人気が出るにはまだタイミングが早かったのか、「フィッシュ・オン」に登場してくる釣り具の中では唯一のへドン製品ではないでしょうか。BF(ブルフロッグ)カラーのベビーラッキー13。豪華版の目次ページに、少し控えめに写されています。

フルサイズのラッキー13に比べるとかなり細かく動かすことができる芸達者さんです。もともとの設計は、トップウォータールアーではなくシャローランナーなんだろうと思います。水面での悶えるようなアクションに続いてサブサーフェスでの動きを織り交ぜると、喰い渋った時にも卓効があります回収時に魚が追いかけてきたり喰いついたりすることも度々で、それはそれでうれしい反面、少し申し訳なさも感じてしまう、甘酸っぱいルアーです。

2016/02/14

Plano 45102

「サライ(2005年9号)」、P43
各種展示会、などなど


これも釣竿専用の運搬用ケースです。プラノのタックルボックスは、原材料の関係か、販売促進上の方針か、プラスチックの色合いが年代ごとによく変わります。初期型は少しベージュっぽいカラーで、開高さんのものはこれです。その後、真っ黒に変わり、その後は上の写真のような濃淡2色のグレーになりました。現行品は、ベージュとグリーンの2トーンです。

私も、若かりし時に何度か海外釣行に出向いたことがあり、その時にはこのケースが活躍しました。ステッカーをあれこれと貼ってはみるのですが、補強用にガムテープをグルグル巻きにしたり、空港で様々なシールを張り付けられたりするので、だんだんど剥がし跡が無残になってきます。開高さんのロッドケースのように、スマートで格好の良い仕上げ方はなかなかできないものです。

2016/02/13

Flambeau 5020

「サライ(2005年9号)」、P43
各種展示会、などなど


開高さんは、初期の釣り紀行では棺桶のような特製コンテナーケースを使っていたようですが、併せて後期にはロッドケースも使用した様です。当時は、航空機に載せられるような固いロッドケースを売り出しているメーカーは限られており、市販品はフランボーとプラノくらいしか選択肢がなかったと思います。

画像のはフランボーの5020。確かオリムピックが取り扱っていましたが、カタログ掲載はアユ竿ケースや布製ロッドケースと同じ並びだったと思います。想像以上に堅牢な造りです。国の内外を問わず航空荷物の扱いは乱雑なので、何よりも丈夫なものが求められる種類の道具なのでしょう。

それにしても、「サライ」の写真。このケースの上下が逆なような気がします(というよりも、開高さんのステッカーの貼り方が逆なのでしょうか)。

2016/02/12

Ambassadeur 6500GR

各種展示会、などなど


開高さんが使っていたABUのベイトキャスティングリールは5000番台が主体で、6000番台はほんの数台です。記念館に収蔵されている6000番台のうちのひとつが6500GR。開高健展等でも時々展示されています。

黄金のフレームで飾られた、1980年代のフラッグシップ機でした。最新鋭のスピードアジャストマグネティックブレーキを装備。グラファイト製サイドプレートに身をまとった高精度軽量リールとして売り出され、当時40,000円台後半の価格帯でした。先行して売り出された人気の4600FLや5600FLではなく、少しマイナーな6500GRを選んだところは、流石に開高さんの眼力だと思います。

ただ、残念ながらこのリールは著作物には登場してきません。実際に使ってみるとよく分かるのですが、ブレーキの調整が少しピーキーです。また、調整箇所が多いため、使用後のメンテナンスや手入れが少々面倒なところがあります。近場での釣りならともかく、長期の遠征には旧来型のほうが適していたのかも知れません。

2016/02/11

Orange Boy

「オーパ、オーパ!! モンゴル・中国篇(文庫版)」、P139
「生物としての静物」、P129~137
「太陽(No.422 特集 開高健)」、P109
その他もろもろ


「時刻は現代人の強迫観念の幻影に過ぎない」 開高健

開高さんの著作物には、時計の話はあまり出てきません。「生物としての静物-超薄型の、蓋付の、懐中時計はいいもんだ」には、芥川賞 の記念品のロンジン(LONGINES)の話や、セイコーの自動巻・カレンダー付の腕時計の話が登場しますが、特に釣りの時には腕時計を身に付ける習慣があまりなかったようです。

ただ、晩年の釣行記の際には、セイコー社のダイバーズウォッチがチラリ、チラリと見え隠れします。「オーパ、オーパ!!」のチョロート河でのイトウ釣りでは、釣り上げた魚を高く掲げたその左手に、オレンジ色の文字盤のセイコーダイバーズが装着されています。

この腕時計は、その後、盟友のボブ・ジョーンズ(ロバート・ジョーンズ)さんに進呈されたようです。「これをはめたまえ! 大人の腕時計だ」と。ボブさんご自身の寄稿により、「太陽」に掲載されています。

セイコーダイバーズの中でも、このオレンジ色の文字盤のものはひと際目立ちますね。文字盤の色により、「ブラックボーイ」、「ネイビーボーイ」、そして「オレンジボーイ」の愛称がついています。1980年代には、当時の若者(ヤングと呼ばれていました)を中心にとても人気が出たシリーズです。大人の腕時計・・・私も、釣りに行く時には時々同行させています。

2016/02/10

Wire Embrioided Record Badge

「生物としての静物(文庫版)」、P120 ??


引き続き、コンテストの賞品バッジ。ジャケットやブレザー用としての要望があったようで、1970年台の中頃には刺繍のエンブレムタイプが作られました。ただ、これらは、金賞、銀賞の受賞者のみが別途購入可能というアイテムで、自主的に申請しなければ入手できなかったもののようです。開高さんが入手済みだったかどうかはわかりませんが、コンテストに関連する静物として紹介しておきます。

なお、銅賞も対象かと思っていましたが、カタログをよく読むとそうではなかったようです。手持ちのものの色合いが微妙に異なっていたのできっと銅賞用だろうと信じ込んでいましたが、単なる経年変化でした。

2016/02/09

Record Fish Badge

「生物としての静物(文庫版)」、P120
そこへスウェーデンのアブ社の国際魚釣りコンテスト賞の金賞のバッジを刺し、キンキラキンのさりげなくといった顔つきで、あちらの山、こちらの谷を歩き回った。


古いABUのカタログには、国際釣りコンテストの賞品としてバッジ(ピン)が贈呈されたことが記されています。世界各地から応募された魚が対象で、厳格な審査を経て認められたものにのみ、魚種ごとに設定されたサイズに応じて金賞、銀賞、銅賞が授与されていました。「生物とての静物」には、佐治敬三さんから提供されたステットソンの帽子に金賞のバッジを刺して愛用する様子が書かれています。

金賞のバッジには実は2種類あり、上の写真のものと、金賞のうちの最大魚に授与された周囲にローレルのリースがあしらわれたものとがあります。ただ、カタログによると、ローレル付きのバッジは1970年のコンテスト審査分(1971年カタログ掲載)からが対象だったようですので、開高さんの金賞は「ローレルなし」のものだと思います。

さて、このコンテスト。日本ではほとんど宣伝されていませんが、TIGHT LINES(ABU社のカタログ)の2000年版には掲載されていました。また、賞品のバッジやパッチ、特に古いものは、コレクターズアイテムとして時々出回っています。私自身も、コンテストに応募して獲得したのではなく、スウェーデンやドイツのコレクターに探して貰って入手したものです。いつかは帽子に刺して見たいと思っています。